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組織の限界

January 31, 2018

「不可能性定理」で知られるケネス・アローによる「組織の限界」を読みました。

何度か読み返しつつ、自分がまだ理解仕切れていないところも多くあるとは思いますが、1970年ごろに書かれた本書から今の時代に起きていることを考察するということを試みたいと思います。


昨今のデジタル化的な動きについて以下のようなことを考えており、これらを検証する上でのヒントが多く本書に詰まっていましたので、本書の内容に入る前に今の状況の自分がもつ課題意識・考えを記載します。

 

# 斜字ボールド・紺色の字体は引用を意味します。

課題意識

 

中央集権から分散化が社会的に望ましいかのような論調が最近高まっている(と感じている)が、以下の通り分散化が望ましい方向性であるとは思えない。

 

・デジタル空間内に閉じた事業(オンラインゲームとかFacebookとか・・・)ではなく、実際にモノが動くリアルな事業においては、時空間での不確実性環境下に弱く、資産を持たないスタートアップモデルの失敗例が増加しており、リアルな空間において「収穫逓増モデル」は簡単には作れない。

オンデマンドエコノミー的な消費者向け事業は多額の資金調達したものの続ければ続けるほど赤字を垂れ流す構造になった企業が少なくない。インターネットベンチャーに対する出資と同じ考え方で収穫逓増を前提に成長を重視したVCの資金投下が機能しておらず、不確実性環境下でオペレーションコストを制御仕切れていない代表例がこの領域であると言える。

# 最近の「AI」はもっぱら現場の直接費用をゼロにしていくことを目指す動きではあるが、リアルな領域で限界費用はゼロにはならない。

 

・では、時空間での不確実性環境下でどのような方向性が企業の収益性を高めるのか、というのを考えていくと、「バリューチェーン横断での垂直統合(全体最適)モデルの進展」と「各国ローカル事業の取り込みと、そこでの現場データを生かしたファイナンス領域でのマネタイズモデルの構築」の2点が考察され、これらはどちらもそれなりのアセットをもつ既存大企業に有利であり、分散化の方向性には進まないように思われる。

# 1点目の「バリューチェーン横断での垂直統合(全体最適)モデルの進展」とは、古くからアパレルSPA(製造小売)がやってきているように商品企画から小売まで一貫して持っていることでバリューチェーン全体でのPDCAを愚直に回して収益力を高めるモデルが他の産業でも進むという意味。不確実性が高い環境下において、例えばIoTとかで製品をコネクテッドにしたとしても、エンドユーザーはまだ起きていない故障予測に対して簡単にお金は払ってくれないので、これまでエンドユーザーに転嫁していた領域の責任を提供者側が持つことでコントロールする範囲を広げて、全体としての収益性を向上していく、という方向性で、アズアサービス化する「お金の取り方」自体が重要なわけではない。

# 2点目の「各国ローカル事業の取り込みと、そこでの現場データを生かしたファイナンス領域でのマネタイズモデルの構築」とは、スマイルカーブが進展(最終組み立ての価値が相対的に低下している一方で、部品・素材という川上と、アフターサービスの川下の価値が増加し、バリューチェーンで並べた時の収益性が川中が凹むような形に進んでいること)している中で、川下事業に参入しようとしているものの、この領域がまさに収穫逓増ではない領域であり、川下に入りながら顧客接点を抑えて事業融資や販売金融でのマネタイズをはかっていく、というのが中国の動向等を見ていても感じるわかりやすい勝ちモデル。そうした時に、当然ある程度限界費用をゼロに近づける方策としてAI的なものを有効活用していくというのは重要なことではありますが、大きな企業が時間と頭とお金を使って進めていかないといけないのは、川下のローカルな企業とのパートナーシップを進めていくことと、何よりもどう稼いでいくかというシナリオを考えていくことのはずですが、AIブームを見ているとやけにパーツとしてのAI的なものに思考が寄り過ぎているのではないかというのが日々の実感。

# 前回の記事でも言及しています。

企業の存在理由はどこにあるか

 

上記のようなことを考えていくと、「企業の境界」というのはどういう形で決まっていくのかということが気になってくるのですが、何かしらの状態に時間がたてば市場が調整して収束していくものの、各社内部留保が多い中で、市場を介した調整(学習)というのは時間がかかるのと、変化のスピードが早い状況においてはいくらフィードバック制御をかけていてもいつまでも追いつかないということもあり、何かしらトップダウンでのアプローチが必要なのではないか、そして、収束先の秩序が今の分散化万歳的な方向に進んでいった結果スイッチングコストが高いので非効率なのに別の場所にいけないみたいな状態に陥ってしまうのではないかみたいな不安があるわけです。

 

企業とは何なのかを考えていく中で、以下のようなことが言われています。

 

国富論(アダム・スミス)1776年:

個々のメンバーがそれぞれ利益を求めて自由に利己的な行動を行えば、マーケット・メカニズムにより全体で調和が取れ、効率的な配分が実現する。つまり、私益を追求することで『神の見えざる手』が働き万人の公共善をもたらす。

(このメカニズムは、1870年代にレオン・ワルラスが「一般均衡理論」として証明し、新古典派経済学として定着していきます。)

 

企業の本質(ロナルド・コース) 1937年

なぜ価格システムがあるにも関わらず企業が存在するのかということについて、「取引コスト」が存在することを指摘し、それを低減することに企業の存在理由がある、と説明しています。

取引コストの具体例として、wikipediaには以下のように書かれています。

店でバナナを買うとしよう。バナナを買うのに必要なコストは、バナナの価格だけではない。沢山あるバナナの種類の中から自分の好きなバナナを見つけ、何処で、いくらでバナナを買うべきかを調べる労力、そして自宅から店までの往復の交通費、支払いまでの列の待ち時間や、支払い自体にかかる労力など様々なコストが必要なのだ。バナナ自体の購入にかかった価格以外のコストが取引コストである。

取引コストの説明はこちらもご参照ください。

 

価格システム(マーケットメカニズム)」と「企業」が全体として効率的になるように機能する形で存在していく、というのが基本的な説明になりそうです。

 

(そして昨今のデジタル化のなかで、仲介業者のような立場の企業の価値が相対的に低下している、具体的には日本の総合商社のような立ち位置のところ、という指摘は、まさに上記バナナの例を見ていただくとわかるように、バナナを見つけて買い付ける、というのは1消費者としてただ買うだけなら、直接どこかの農家を見つけて買ってくる、ということができるのと、そもそもモノを仕入れて売る、というビジネスにおいて空間上のアービトラージというのも情報がオンラインで検索できるようになった瞬間になくなってきているという意味では確かにそうです。

ですが一方で、事業投資先という観点だとどの企業よりも広いバリューチェーンを抑えているという意味で垂直統合での無駄の排除をする余地が多く、そもそも仕入れて売るというよりは事業投資にかなり振って来ているというビジネスモデルの変化も当然ありつつも、トレードという既存の事業を見ても、誰もがユニクロのように自社で調達コントロールするほどの規模の経済およびケイパビリティがあるわけではない中で、地政学的な不確実性やFTA周りの動きも複雑化してくるとまだまだ取引コスト自体十分に高いということでもあります。というのが、デジタル化で総合商社なくなるんじゃないかみたいな議論がある中で、取引コストという軸を考えても全然そういう方向が現実的であるとは思わないですし、企業の分散化が進むなら進むほどバーチャルSPAやバイヤーズコンソリデーションなど仲介業者としての役割はむしろ増していくのかもしれません。)

 

 

また、企業が巨大化(水平的な方向、多角化、垂直的な方向)していく動きについては

HBRの記事にて「取引コスト」と「ダイナミックケイパビリティ理論」の観点から分析されています。

特に垂直統合については、取引関係が相互に資産特殊的で不確実性が高い場合には取引コストを節約するために垂直的統合が起こる、というように「取引コスト」の観点から説明できる一方で、取引関係が相互に資産特殊的で不確実性が低い場合にもケイパビリティという要素に従って垂直的統合行動を展開することもある、と「ケイパビリティ」の観点での主張も紹介されています。

 

ただ、これだけだと前述した、「垂直統合」による価値の源泉であるバリューチェーン全体での最適化(無駄の排除)であったり、それを実現するためのアセットとして「データ」の価値というのも説明仕切れません。企業の境界を見定める上で、バリューチェーンの機能を別組織間で連携するには「長期的な契約」であったり、その上でAPIベースでデータをやりとりすることによりそれなりの「サービス品質の向上」は「分散協働モデル」で実現可能であるものの、それ以上の上記の価値の創出というのは垂直統合をしないとできないように思われます。

また、サプライチェーンマネジメントにおけるVMI(Vendor Managed Inventory:ベンダー管理在庫)やCPFR(collaborative planning, forecasting and replenishment)、CRP(Continuous Replenishment Program:連続的補充計画)のようにサプライヤーとメーカー、小売が契約を持ってあたかも1組織であるかのように効率的にサプライチェーンをコントロールしていく手法は古くから理論として確立されているものの、実態としてはこれらが提唱された2000年ごろから15年以上たった今でも特に日本国内では状況はほとんど変わっていない企業が多いことも事実です。社会実装されるためのポイントは何なのでしょうか。

組織の限界

 

ようやく「組織の限界」の話になります。

 

具体例などがほとんど書かれていないので、慶應大学教授の坂井さんが書かれている解説を先に読むほうが本の内容が頭に入りやすいかと思います。(解説の一部はこちらで読むことができますが、ここでは解説にて書かれていることのうち、ほぼ不可能性定理に関することのみが抜粋されています。)

 

まず、「価格システム」について、効率的な配分を達成でき、かつ、参加する人に対して比較的わずかな知識しか要求しないということで優れた面がありながら、価格をつけることが困難な領域(例えば水や大気汚染、信頼)や、価格を徴収するのにあまりにもコストがかかるような領域ではその実行コストが効率性の利得よりも大きいために機能しない、そして、不確実性が存在する場合の「不確定的財貨」の価格のあり方が複雑で現実的ではない、と説明しています。

# 実行コストについては、交通料の徴収など、IoTによって「効率性の利得>実行コスト」というように構造が変化したような領域もあると思います。

# 条件の複雑な契約については、ブロックチェーンによるスマートコントラクトが解決しようとしている領域なのでしょうか。まだ整理できていないので後日考えたいと思います。

 

そのような価格システムの欠陥に対して、非市場的方法による資源配分を担うのが組織であるとしており、本書での「組織」とは企業に限ったものとしては使われておりませんが、組織とは、価格システムがうまく働かないような状況の下で集団的行動の利点を実現するための手段であると書かれており、この観点では「企業の本質」と同様ですが、解説にも書かれているように本書では多くを「情報」に頁を費やしています。

 

「情報」の説明として、「シグナル」という単語を使い、シグナルとは、個人の確率分布を変更させる力のある任意の事件、であり、シグナルを受ける以前と以後では、起きる事態の主観的確率分布が変わると書いています。(この辺りの基礎情報学の基礎的な事項が、AIの難しさであったり、「Googleで検索すれば情報は得られる時代だから物知りであることに価値がない」と言われながらも全然実態はそうじゃない事をうまく説明します。)

 

情報をこのように説明した上で、情報の「コスト」について述べています。

情報コストについての特徴の1つは、その一部が「資本コスト」であるということで、先ほどの「シグナル」という言葉を使うと、シグナルを受けるためには「符号化様式」を学ぶための初期投資が必要であるということです。(わかりやすい例として語学習得が挙げられています)

「資本コスト」については、これが組織の中で効率的に情報を共有して処理していくために、ある特定の符号化様式に収束していき、それは初期値依存性もあるために、同じ産業であっても組織(企業)特有のものであって、他の組織で通用するものではない、そして一度アセットとして蓄積されてしまうと、それが非効率なものであっても別の様式に移ることは割りに合わなくなる、という説明がされています。これは大企業でよく言われる、「在籍していてもその会社でしか通用しないスキルばかりが身についていく」、ということの構造的な説明になります。

もう一つの特徴は、これらのコストが「均一ではない」、ということです。隣接領域への情報チャネルの開設は遠いところと比べてコストが低い、というのは想像しやすいことかと思います。

 

次に、組織における意思決定に話が移ります。意思決定は、必然的に情報の関数であり、情報を集める/集めないということ自体も決定であり、それぞれ最終決定(ターミナル・アクト)実験(エクスペリメント)と表現しています。製造業を例に取ると、サンプリング試験が「実験」、その結果を受けた全ロットの受け入れが「最終決定」です。

組織(企業)は、各々のメンバーに異なった実験を行わせることができる(→専門化できる)ので、いかなる1人の個人よりも、より多くの情報を獲得することができる。しかし、情報が組織にとって何らかの形で役立つためには、相互に調整され、関連させられなければならない

ということで、構造としては、組織内部におけるコミュニケーション・チャネルにおいて節約効果を作り出すならば、最終決定の選択に関する若干の価値の損失があっても引き合うことになる、ということで、どれだけ情報を伝達するのか、どのような符号化様式により効率的なチャネルを形成するのか、ということが論点になってきます。

こういった構造の中で、組織の意思決定領域として「活動中(アクティブ)」、「監視中(モニタード)」、「非活動中(パッシブ」の3つに分けた時に、組織は監視(モニター)するという点でより多くの能力を持ってはいるが、非活動中という姿勢から監視中、あるいは活動中という役割に切り換える能力には乏しいのである。ということで、実験を分散して行うことは組織は得意だが、それらの情報を複合的にまとめて意思決定していくことは情報コストの問題から不得意である、ということで、これは企業に属している方は体験していることなのではないかと想像します。

 

最後の章が、上記構造の中での意思決定のあり方(という表現は使われていないのですが)として、「権威と責任」という章で、「権威」という集権的な意思決定と「合意」による意思決定が分析されています。組織のメンバーにおいて利害と情報のどちらかが異なっている時には合意コストが上昇する、例えば情報同一・利害相違の場合は交渉(バーゲニング)コストがかかり、情報相違・利害同一の場合は情報コストを低減するにはコミュニケーションチャネルの数を減少が有効であるという観点で、権威による意思決定が効率的であるといった説明がされています。

 

次に、組織において権威が達成されるのは、「報酬と懲罰」があるからだけではなくある個人が権威に従うのは、他の人々もそれに従うと期待するからである

そして権威による意思決定における「不必要な誤り」とは、情報が組織内のある場所では手に入るものでありながら、権威者にはそれが手に入らないか、あるいは使われないとき、であり、権威者の情報上および意思決定上の容量の過大負担に他ならない、としています。

上記の情報の過大負担に原因する効率性の損失について、情報を濾過して高い事前確率に合致するもののみを受け入れるのは、情報の量が限られた処理能力を超過した場合における合理的な反応なのである、としてタイタニック沈没などいくつかのケースを例にとって説明しています。

 

上記最後の段落が重要で、冒頭で記載した通り、デジタル化が進む中で、一つの企業において「マーケティング」とか「サプライチェーン」とか「ソーシング」とか個別のファンクションを超越した視点での最適化が価値の源泉になってくるはずで、そうなってくるとその価値創出ができるのは規模の大きいところしかないわけですが、「実験」による情報収集は組織は極めて効率的にできるものの、権威による「意思決定」においては権威者への情報が処理能力を超えてそこでスタックしてしまう、ということが構造としてさらに起こりやすくなるはずです。

 

上記を踏まえると、個人的に私はそれなりに大きい企業が安定的に存在している方が生きやすい世の中であると考えているのですが、大企業が収益をあげていくには上記のような構造上の問題もある中で、「実験」と「最終決定」に関する「情報コスト」と「意思決定の質」のコントロールが論点になります。どうも最近の流れとしてデジタル組織的なものを設立して、明確なアウトカムの設定、仮説の設定なく、なんとなく実験的にスタートアップのサービスを使ってみる、という取り組みが激増してますが、ボトルネックはそういった「実験」を発生させるための構造設計ではなくて、情報コストという取引コストをいかに低下するのか、もしくは意思決定の質を低下せずにどう情報を処理するのか、というのが問われていて、簡単にいうと意思決定者は考える以外本当にヒマにならないといけないので、そういう状況を作り出すための施策が結構見た目は地味そうですが、意外に重要かもしれません。

 

あとは「権威の達成」の、「報酬と懲罰」だけでは不十分で、他の人々もそれに従うと期待しているから機能する、というのは、新鮮な分析でした。

最近の日経の記事「企業を蝕む「熱意なき職場」 社員の強み重視の文化を」にて、米調査会社のギャラップ社が仕事への熱意(エンゲージメント)を調べるために実施したアンケート結果から、日本人の仕事に対する熱意はほぼすべての調査で最下位クラスということが書かれているようです。この原因を考えたときに、それは利己的な金銭的インセンティブという報酬設計がないからではなく、権威者の意思決定において、「他の人々もそれに従うという期待」は消極的な形で皆盲信していながら、組織全体のミッションとかバリューみたいな宗教的な価値に賛同している訳でなく、そして個人レベルでの活動結果が、権威者の情報過多により処理されずに権威者のもつ確率分布を変更するに至らない、つまりシグナルとして検知されないということが続いた結果として熱意が低下する、ということが多いのかなという印象を持ちました。

 

「組織の限界」で言及されているものの、今回考察できていないのが、「利己的な」という要素で、ここについてはまた後日整理してまとめたいと思いますが、少しヒントになりそうな要素を書いておきます。

ハイエク知識社会の自由主義(池田信夫さん)

 

ハイエク知識社会の自由主義においては、ハイエクの主張というのは「計画経済と市場経済」つまり「(大きな)政府と市場メカニズム」の比較が議論の中心の一つで、「市場と組織(企業)」という分析はされていないのですが、市場メカニズムがもつ重要な特徴として、計画経済に比べた価格メカニズムの優位性は、新古典派的な資源配分の効率性ではなく、知識のコーディネーションの効率性(知識の経済性)である、というところは情報コストの観点で計画経済と市場経済を分析したということであると言えると思います。

(データ分析を普段している中で、情報から知識への昇華、ということをよく自分でも使っていましたが、「組織の限界」で使われている「シグナル」というものの定義を踏まえると、ケネス・アローの「情報」とここでの「知識」というのは同じ意味合いとして捉えて良さそうです。)

 

そして前述のアダムスミスの「国富論」にある利己的な行動というのは、実は「第三者の目を意識しながら自己の利益を追求すること」であり、もう一つの著作の「道徳感情論」では他人に対する「共感」が秩序の基礎だと論じられている、ということで、「神の見えざる手」は、一般に経済学が想定する、自分の利益だけを考え合理的に判断する「エコン」ではない、上記の意味での「利己的な行動」の結果としてある秩序に収束する、ということを論じていたようです。(これが1776年って衝撃なんですけど・・・)

 

利己的な行動を憎む感情は、遺伝的・社会的の2重のコードで埋め込まれているとされており、「遺伝的」のレベルでは遊動生活から定住生活にシフトしたのは1万年ほど前であり、遺伝的な変化の時間軸から考えると遺伝的なものとしての本能は「ノマド」であり、それにより公平の感情を持っている(狩猟生活は誰もが獲物を捕獲できないリスクを抱えているので公平な分配を求める感情が遺伝的に進化した)。定住生活になってからも遺伝子レベルとは別の「制裁」で排除され、社会的にも利己的な感情を憎む感情が埋め込まれ、結果として「最後通牒ゲーム」をすると、「エコン」を想定したものとは別の結果(つまり金額を決める決定権をもつプレイヤーが、それなりの額を相手プレイヤーに提案する)が出てきます。

 

ハイエクは、自然の秩序でもなく、人間が意図的につくった秩序でもないものを「自生的秩序」と呼んでいますが、この自生的秩序が企業においては歴史であるとか文化、信じている価値のようなものの中で生まれるはずであり、これが「組織の限界」における「権威の達成」のためのポイントであり、秩序自体の進化(遺伝的アルゴリズム的な、ある山からさらに高い山へのジャンプ)を組織の中でどう実現していくか、という論点に繋がっていきそうな気がします。

・・・全般的に長い割に、出したいことに対する答えに至っていないのと、ファクトがなくただ述べているだけの文章になってしまいましたが、引用している書籍等の原著に当たるとなんかヒントが得られるかも、ということを思っていただけると幸いです。

 

 

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